より活気のある環境に身を置くのがよい。
部屋の中にいるのは一日を振り返るときだけで十分だ。
中②の時の文集を見ていると、ある同級生の創造的文章力のあまりの素晴らしさに見とれてしまった。
そう、彼の男、鈴木純平である。こやつ、やはり只者ではない。
その当時の俺は哀れにも「お魚天国」という受け狙いかそうでないかわからずとも年収低い事だけは確かな題名を奉った作文を書いていたという愚行ぶりである。
さて、自分とただいま向き合っております。
今回は長さとしては作成期間として許されたのが今日、明日、明後日というごくごく短い期間であるため、最早どないしようもない感じになっておるんですが、それはまぁいいとして話を戻すと作品の長さは・・・
うん、でも長さとかはまぁどうでもいいや。問題はその内容に満足できるかということでして、まぁどんなすごい作品を作れようとも納得などしないであろうタチであるのにね。
とりあえず出来たら水黒くんにでも見せようかと思ってるんだよね。
どうせ下らない童貞ばっか出てくる話になるの、見えてんだから。
宮崎駿(以後ジャキさん)は物語を作るとき、誰に対するメッセージかを考えてから作るんだってね。
でも俺はジャキさんのように偉大な人間ではないので、結局自分のための本を書こうと思うんですよ。
テーマ?テーマっつうのはこれまた困った問題で、まぁ自分の中では今後の自分の位置づけを決めてくるもんになってくると思うんだけどそれはまぁ関係ないからね。
結局、自分の頭ん中で創造しうる世界しか作れっこないわけで、テーマなんテ自分が知らない世界の事なんか書いても仕方ないってわけ。
要するに俺そのものみたいなテーマで書くってなると、確実に童貞ばっかでてくるパターンになっちゃうわけね。
まぁでもそれは手段に過ぎないわけで、何が書きたいのかって、それが問題なんだという話なんですよ。
まぁ「生命の偉大さ」とかcoldplayもいってるけどそれはお前違うやろって感じやからテーマなんかあってないようなもんかもしれへんけどね。
椎名林檎は一曲一曲を本当に誰かに大好きになってほしくて作ってるらしい。
これはまだ納得できる。
俺は・・・そもそもの目的が「自分自身の人生と真剣にそろそろ向き合う」ってことやったからねぇ。
目的がある自体が生命の本質に矛盾してるらしいけど、まぁこれは生命じゃないからね。
「自分自身の人生と向き合う」ために作られる、とか物語からしたら非常にハタ迷惑な話やと思うんよね。
やっぱ物語を書くのならその物語のために書くべきやと思うし、
そもそもこんな頭でっかちになってる時点でなんかなぁとは思うし
誰かが「素晴らしい作品は生まれるべくして生まれる。作り出すのではなく流れ出すのである」とか言ってた
けどでもそれって俺に今何の関係もないよって言いたくなる。
とりあえず魔女の宅急便みたいな話が書きたい。
でも全然向いてないよね。笑!
結局テーマソングは「駆け抜けて青春」なんかなぁ。
あぁゆうテーマを魔女の宅急便みたいな空気感で書いてみたいってのはある。
coldplayは静と動を同時に表現できる唯一のアーティストらしい。
なるほそ、すげぇ。どきわく!どきわく!
ん・・・いや、これ、おもしろいかも。
いや、でも肉体があっても骨がなくちゃ統一性に欠ける。
軸となるテーマは?テーマソングだけじゃ漠然としすぎてる。
そこはやっぱ、今の自分が直面してる問題しかないよな。
「童貞と恋愛」
まぁ結局こんな考えんでもわかったような見え透いた結論に達したな笑
問題は物語の中では妥協とか現実とか考えなくてもよくてただ理想を描き出せばいいんだけど
それでも現実味に欠けたら意味はないはずで、
だいたい、「あぁ、俺もく!俺もこう!わかる~~~」みたいに共感させたいわけじゃないし。
しみじみいかせたいってのはあるけど。
ある意味、おもしろい話を書くってのは簡単やろ。
読者の興味を引くようなテーマをねるねるね~るねのキャンディアソートのようにちりばめるだけでいい。
でも、それと美しい情緒とは相反するモンだから
あーなんかそろそろ見るに耐えん感じになってきたな。
てか、あんまこのブログ見ないでね。皆。