今、この世界の物語がつまらないと思う。
正確に言えば、きっと世界基準での著作のレベルは決して下がってはいないだろうし、ひょっとしたら微弱にでも上がっているのかもしれない。
レベルとは何かという問いは低次元だ。著作として深く、整理されていて、老獪で、有意義なもの。
俺はこう表現したが、何もこれがすべてではないし、同時にこれら全てに優れていたとしても、それが優れた作品だとは限らないだろう。
俺がかつて面白いと思ってきた作品は、俺が物語というものを知らなかった頃に面白いと感じたものだ。
要求は年を経て大人になっていくにつれて自然と高くなる。
それに答えられるだけの物語を、久しく、見ていない。
あったとしても相当希少だった。そもそも、本物とは希少なものだが。
俺が認めている作家は「司馬遼太郎」「宮崎駿」
これあけ聞くとミーハーに思われるかもしれないが、少なくとも俺は本を見分ける嗅覚において誰にも劣っているとは思わない。「パウロ・コエーリョ」もけっこういい。
表現方法を著作に限らなければ他にも優れた作品はいくつもある。
人生という表現方法でいうと更にたくさん。
俺の周りには本物の人間がいない。本物の人間とは俺が思うに、自分の信念を貫いて生きており、またその信念を俺が崇高と思える人間の事だ。
俺が彼らに出会えていないのはきっと俺ソノモノが本物でないからだ。
本物の男になりたいと思う。
小物であろうと幸せな人生を歩む事は出来る。
しかし俺はそれを望まない人間だ。
逃げ道なんてどこにもないのさ。
もともと探してもいねぇが。